
相模国府祭六社めぐり

◆神奈川県指定無形民俗文化財◆
相模国府祭(さがみこうのまち)とは
毎年5月5日、相模国一之宮寒川神社・二之宮川勾神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥神社・平塚八幡宮・総社六所神社が大磯の斎場に集まり、国家安泰・五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念する相模国最大の祭典が国府祭です。
相模六社めぐりとは
奈良・平安の時代、都から各国々に派遣された国司(現在の県知事)は、担当の国に到着するとその国の主な神様(相模国は寒川神社をはじめとする六神社)にお参りをして平和と繁栄を祈願しました。
いにしえの相模国の国司に習い、六社の神々にお参りをすることにより、限りない守護とお導きが授けられ、さらなる繁栄と幸せがもたらされる事でしょう。
一之宮 寒川神社

〈由緒〉
相模国を始め、関八州方除総鎮護の神として古くから信仰を集め、約1500年前、雄略天皇の御代には奉幣のことが記されています。また醍醐天皇の御代に制定された延喜式では相模国唯一の名神大社に列せられ、今日では地相・家相・方位・日柄等に由来する全ての災いを祓い除く八方除の守護神として全国より広く信仰されています。
〈住所〉神奈川県高座郡寒川町宮山3916
二之宮 川勾神社

〈由緒〉
第11代垂仁天皇の時代、磯長国造・阿屋葉造が勅命を報じ、磯長国鎮護の為創祀。大和武尊が東征途中奉幣祈願あらせられ、允恭天皇皇妃の安産祈願を始め、建久3年源頼朝神馬を奉納し、神地塩田を寄せられる。小田原北条氏より鬼門守護者として崇敬深く、神馬免田造営奉幣の寄進あり。徳川の朝に至り神地50石を寄せられ累代将軍に及ぶ。明治6年郷社に列せられております。
〈住所〉神奈川県中郡二宮町山西2122
三之宮 比々多神社

〈由緒〉
神武天皇6年、国土創造の神をお祀りして国土安泰を祈ったのが創祀とされています。第53代淳和天皇より当国総社冠大明神の神号を賜り、延喜の制では式内社に列格。源頼朝公は安産祈願に神馬を奉納、独側歴代将軍より神領の寄進がなされ、事始めの神様の信仰を集めています。大祭は勇壮な神輿、人形山車、植木市等で賑わいます。
〈住所〉神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
四之宮 前鳥神社

〈由緒〉
延喜年間に編纂された「延喜式」神名帳に搭載された延喜式内社で、1640余年の歴史を有します。ご祭神の前鳥大神は、古くより修学の神、学問の神として広く尊崇されています。また、渡来人技術者を篤く庇護し、農業、土木建設等の急速な発展をなされましたご祭神は、産業技術発展の神としても崇敬を集めております。
〈住所〉神奈川県平塚市四之宮4-14-26
八幡宮 平塚八幡宮

〈由緒〉
平塚八幡宮は今から1600年以上前、仁徳天皇の六十八年、この地に大地震があり、それを見かねた仁徳天皇が詔をだされ、応神天皇をお祀りされたことが創祭でございます。その後、推古天皇の御代にも大地震があり鎮地大神の御宸筆を賜り、相模の鎮めとして、相模圀一圀一社の八幡宮として崇敬をあつめております。
〈住所〉神奈川県平塚市浅間町1-6
総 社 六所神社

〈由緒〉
崇神天皇の御代、櫛稲田姫命を守護神とし創建され、当時は「柳田大神」と称しました。大化改新後、国府鎮座の総社として、一之宮寒川神社から平塚八幡宮の分霊を合祀し「相模国総社六所神社」となりました。鎌倉時代には、源頼朝公による富士川の合戦の戦勝祈願を始め、奥方の北条政子の安産祈願がなされ、戦国時代には小田原北条家より六十五貫の社領が寄進されております。
〈住所〉神奈川県中郡大磯町国府本郷935
◆六社をめぐって
今回、5月5日の国府祭には、弊社営業中の為参加できませんでしたが、後日六社をめぐらせていただきました。
国府祭の御朱印は、寒川神社が5月5日の早い時間に用意していた枚数がなくなってしまったので、ほかの5社の御朱印をいただいてまいりました。

相模国府祭で行われる「神体面の儀」では相模国六社の神々が年に一度の対面をし、各神社の五分霊「守公神」が総社に納められ、天下泰平・五穀豊穣が祈られます。
六社をめぐり、各神社で授与される「開運守公神」を揃えて弊社にてお祀りしております。
相模国の神々の守護により弊社の繁栄のみならず、お客様にも幸せな住まいがもたらされることを願っております。
