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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地を訪ねて

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映中ですね。
中々面白いという話は聞いておりますが、すみません。私は全く見ていません。
それというのも、そもそも私の家にはTVがありません。
そんな生活を、10年以上続けているので地元が舞台になっているドラマなので、気にはなっているのですが見ることができません。

そんな私がゆかりの地を訪ねてみるというのもおこがましい気もしますが、せっかくなので紹介してみたいと思います。(役者名などはサイトで確認させていただきました)

また、前述したとおり番組を全く見ていないので「ネタバレ」があるかどうかもわかりませんので、そこの所はご容赦ください。


まずは、旧跡「懐嶋山の碑が西久保にあります。



はい、なんの石碑なのか説明しないとわからない方が多いと思います。
ここには、源頼朝と丹後局との間に生まれた子の胎盤が納められたと伝えられています。
頼朝の子を身籠ったことを、北条政子に知られてしまったので大庭景能にかくまわれたそうです。
大庭景能は大庭景親(國村 隼)のお兄さんです。頼朝が挙兵した後、敵味方に分かれてしまいました。
また、丹波局の子は三郎と名付けられ、後に島津忠久と名乗り、九州の島津氏の祖となりました。

お次は、梶原景時の館跡が寒川町一之宮にございます。




梶原景時(中村獅童)は、石橋山の戦いで頼朝を救ったことから、重用された御家人です。
こちらの近隣には、梶原氏一族郎党の墓などがあり「鎌倉殿の13人」の幟がたちならんでおります。




しかし、申し訳ありませんが「義経の讒訴状」の事などもあり個人的にあまり好きな方ではないのですよね。
近年の評価では職務に忠実で有能な方だったようなのですが、どうしても伝統的な判官びいきがどうしてもありまして……。
(吾妻鏡などによれば義経の独断とわがまま勝手に恨みを抱いていたものは多かったようでした。
頼朝の死後、有力御家人との対立や北条氏との権力争いに敗れました。

今回は以上となりますが、他にも南湖にある「御霊神社」は、頼朝の前に現れた義経の亡霊を祀ったとか。
その亡霊が現れた場所が「鶴嶺八幡宮」に差し掛かった時で、その際落馬した時に負ったケガが原因で翌年亡くなったと伝えられております。
鶴嶺八幡宮の北側にある「龍前院」というお寺には10基の五輪塔がありますが、それが頼朝落馬の責任を負って自害した警護の方10名の墓とも伝えられています。
他にも、探せば色々あるかもしれません。

こんな風に、ゆかりの地を探してみるのも楽しいかもしれませんね。

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